「学校に行く・行かない」の戦いをいったん休む、ということ
先日、練馬区学校教育支援センターで、のびーく代表の東が講演会を行いました。
参加者からいただいた「質問」にお答えする形でしたが、その回答に共感される方も多かったようです。
そこで、その質問と答えの一部を、こちらで共有させていただきます。
質問①:「学校復帰に向けて、対応はどうしたらよいですか」
回答:まず、「子どもが学校に行きたくない」という時に、どう対応すべきか、ということですね。
背中を押した方がよいのか、休んでいいよ、といったほうがよいのか。
多くの方が悩むところだと思います。
ちょっと背中をおすことで行けそうなら、それもよいと思います。
ただ、多くの場合、「行きたくない」というときは、すでにがまんを繰り返して「もうダメ」という状態であることが多いように思います。
それであれば、勇気をもって「休む選択」をすることも必要なのではないでしょうか。
お子さんはすでに、「学校に行けない自分」に苦しんでいることと思います。
自己否定の気持ちをふくらませていたり、葛藤と闘っていたり。
「休む」の選択で、「行く・行かない」という毎朝の厳しい戦いを、いったん休んでみる。
そこから見えてくることもあるのではないでしょうか。
「教育確保法」でも、「不登校児童生徒の休養の必要性」が謳われています。
「学校は行かなくてもいい」のです。
まずは、安心して過ごせること。
それがなければ、前をむくことは難しいのではないでしょうか。
そこで心配になるのが、ご質問にもあった「行かない選択の先には何がありますか?」ということです。
最近、「学校は行かなくてもいい」という声が大きくなってきました。
あまりにも安易にそういわれることに、懸念もあります。
たしかに、「学校は行っても行かなくてもいい」「苦しむぐらいなら、行かない方がいい」
私もそう思います。
一方で、子どもたちにとって、「学びの場は重要」ということも同時に考えます。
他の場所であれ、家であれ、1つでなくあちらこちらであれ、「学びの場」というのは必要だと思うのです。
学校に行かないことを承認するのであれば、私たち大人は、学校に代わる学びの場を補償すべきでしょう。
でも今は、まだそれが整っておらず、簡単に手に入るわけではないと思います。
そのことは、考えておかなければなりません。
かといって、「フリースクールのようなところに通わなければならない」ということでもありません。
次回はそのお話を。